天気:鶏モモ肉を4枚食った日。
最後のブログ更新から5ヶ月が経ちました。
かつて、何かに取り憑かれていたように毎日ブログを更新していた太郎でしたが、5年ほど前から徐々に更新頻度が減っていき、ついにはこんな有様に。
「ブログはサービスが終了しない限り残すことができるし、文字数の制限に縛られることもない。写真や動画も自由に上げられる。ツイッターより良いじゃないか。」
と思っていた時期が私にもありましたが、
ツイッターの手軽さ、「リツイート」という利便性、そしてデメリットだと思っていた文字数制限が、表現の推敲を強制的に行う役目を持ち、読む側にとっても手軽に流し読みできるという環境を整える結果となったため、ついつい助長的な表現に陥りがちなブログから離れてしまうのも無理のないことだったのかもしれません。
(個人的には、ブログの「トラックバック(TB)」という機能が育たなかったのが残念でした。)
あくまでも「つぶやきツール」「ミニブログ」だったはずのツイッターですが、コメントやリツイート、「いいね💛」という制限された機能が搭載されており、制限されたが故の活発なコミュニケーションが交わされ、暗黙かつ多様なルールができあがっているのを目の当たりにすると、ブログの衰退も止む無しなのかと認めざるを得ない気持ちになるのです。
とはいえ、私も10年以上ブロガーだった立場。
例え人様に読まれることは無くなっても、このブログは可能な限り残していきたいのです。
それは、何よりも自分のため。
なぜかというと、私はこの「ブログ」というツールのおかげで、文字で感情を表現する楽しさを知ったしまったからです。
「表現」
それは、内なる感情を形にする行為。
文章であったり、造形であったり、映像であったり、ダンスであったり、演劇であったり。
その手法は無限にあります。
手法とは「芸」であり、手段とは「術」。
世の中の表現は、いずれも「芸の術」に成り得ると思うのです。
上手いとか、下手だとか、そんなことは関係ないのです。
大切なものは結果。結果として、その「表現」が誰かに伝わるのならば、それは立派な「芸術」として成り立っているのだと思っています。
あまりにも久しぶりのブログ過ぎて、本題に入る前に言葉が溢れてきてしまいました。
こういうこともあるので、やっぱり定期的にブログはやるもんですね。
で、その本題なんですけれど、今日は指宿のタイヨーで鶏モモ肉を4枚買ってきまして、昼飯で2枚、晩飯で2枚食ったんですよ。
さすがに私も多いとは思いましたがね。
で、
昼に食ったのがこちらの鶏モモ照り焼き。
夜に食ったのがこちらのチキンカツ。
照り焼きは、砂糖醤油に漬けた鶏肉を、予熱したスチームオーブンで20分焼いたもの。こんがりと良い焼き色が付いていました。
チキンカツは、本当はちょっとやってはいけないのですが、衣を二度付けしてしまったので非常にボリューミーでした。
最近、「パン粉を細かく砕いたのを混ぜると、食感が良くなる」という技を覚えたので、揚げ物が捗ってしまい困ります。
まぁ美味かったです。
特に、昼飯に食った鶏モモ照り焼きは良かった。
またやろっと。