天気:平成をざっと振り返り。
あと数時間で平成から令和に変わります。
今生天皇陛下が生前退位という方式を選んでくださったため、「改元」というものがこんなに楽しみなイベントになろうとは。
もちろん生まれて初めての出来事ですし、私もなんだかワクワクしております。
さて、この「平成」という時代、およそ30年間。
振り返ってみると、いろいろなことが思い出されます。
そりゃそうです。
私も昭和生まれとはいえ、昭和の記憶なんてそんなに残っておりません。
私の人生の記憶はほぼ平成でできておりますもの。
小学生のころに改元を迎えましたが、当時はよくわかっておりませんでした。
ただ、昭和が60年以上も続いたのだから、平成もきっと長く続くのだろうなぁと思っていたのだと思います。
まさか、平成のうちに結婚できないとは思ってもいなかったよ。
小学校を出て、中学生になり、そして高校入学。
この時点で、私は指宿を出て鹿児島市のはずれにある公立高校の寮に移り住みました。
寮は高校の敷地内。狭い世界で3年間を過ごし、高校卒業から一気に上京。
世田谷の一等地にある学生寮に移り住みました。そこでカルチャーショックを受けながら大学生活を送り、世界の広さを知ったものです。
インターネットという世界を知ったのも、大学に入ってからでした。
当初は「現実世界ではない仮想空間」という感覚でしたが、今ではインターネットすらも現実の一部という気がします。
ホームページを作るおもしろさを知ったのは、大学2年の頃。
二十歳を迎える前くらいでした。
当時は大学のサーバーにサイトを構え、CGIを使った掲示板を日記代わりにして楽しんでいたものです。
その後、レンタルサーバーに引っ越し、日記はこの「ブログ」に形を変え、今に至っています。
2002年の日韓W杯の年に就職。
都内の民間企業に入社し、そこから15年勤めました。
部署移動は大きく2回ほど。
民間向けの計画部 → 開発部 → 自治体向けの計画部
といった感じです。
仕事のこと、仕事以外のこと、いろんなことを学びました。
会社内よりも社外の人付き合いを大事にしていたため、友人はほとんど社外の人でした。
今思えば、それが良かったのかもしれません。
会社勤めをして良かったこと、悪かったこといろいろありますが、出張が多い会社だったのは良かったかもしれません。
いろんなところに行きました。
仕事とプライベートを合わせると、平成のうちに47都道府県を訪れておりました。良い経験をさせてもらったと思っております。
人生の転機が訪れたのは2年前。
故郷の親の勧めで、転職をすることにしました。
そして運よく試験に合格、地元に帰ることができました。
このように、思い返してみれば、平成という約30年のうち、ほとんどの期間は鹿児島を出て過ごしておりました。
私の人生の中で、この平成という期間は経験値を積むための期間だったのかもしれません。というか、そう思うようにしたいと思います。
さぁ、いよいよ改元です。
「令和」の時代がやってきます。
たぶん、私はもう指宿から引っ越すことは無いでしょう。
平成で培った経験を生かして、令和の時代を楽しく生き抜いて行こうと思います。
ありがとう平成!